1. 日语写成“分别知” 翻译成汉语是什么意思
分别知とは、言叶の通り、分别することで生まれる知のことです。
私たちが通常、「知」とか「知る」と言っているのは、すべて分别知です。
一方、无分别智は分别したからこそ生まれるものであって、分别知とは矛盾するものです。
分别知があるときは无分别智はなく、无分别智があるときは分别知はありません。
だから、それがどんなものなのかということを知によって理解することはできません。
知るためには分别する、つまりそれ以外のものとそれとを分别し、それを限定しなければなりませんが、限定されるとそれは无分别智ではありえないのです(无分别智は、このようなかたちでしか理解することができません)。
无分别智には、当然主体がいません。主体とは何かというと、分别する者です。
主体がいないからこそ、分别が消えるのです。
无分别智は、「得るもの」ではなく、私たちの意识が常に「そうであるもの」です。
あなたはそれを得るための方法を问うていますが、まさにそのような分别知によって、(意识が常にそうである)无分别智がかき消されてしまっているのです。
私たちの中には常に分别する主体がいて、常に分别するために、本当は意识そのものが无分别智であることが分からないのです。
それに気づくためには、意识を主体の位置から解放するしかありません。
このご质问とまったく関系ありませんが、小沢一郎についての质问に回答しようと思っていたのですが、既に解决済みになっていたので、ここで少し触れさせてください。
ぼくは小沢氏が「说明しないと分からん奴は说明しても分からん」と言ったのかどうかは知りませんが、もし何かの受け答えの际にそのように言ったとしても、その言叶だけを抜き出して、もとの文脉とは関系なくそれについて论じても意味がありません。
あなたは「日本改造计画」や「小沢主义」を読みましたか?
小沢一郎は理念と哲学の政治家であって、そこに多くの人は惹きつけられるのです。
なぜ「金を动かせる」のかというと、金=寄付が集まるからであり、彼の理念を実现したいと多くの人が望むからです。
彼は御托を并べる人间が嫌いなわけではなく、不诚実な人间、本音を隠して建前で言い包めようとする人间が嫌いなだけなのです。